【読書感想】 [アガサ・クリスティー/長野きよみ(訳)] 三幕の殺人 (クリスティー文庫)

三幕の殺人

アガサ・クリスティー長編十六作目/ポアロシリーズ長編九作目。

ミスディレクションとホワイダニットの見事な融合。

あらすじ

引退した俳優が主催するパーティで、老牧師が不可解な死を遂げた。数カ月後、あるパーティの席上、俳優の友人の医師が同じ状況下で死亡した。俳優、美貌の娘、演劇パトロンの男らが事件に挑み、名探偵ポアロが彼らを真相へと導く。ポアロが「名助演ぶり」をみせる推理劇場。――早川公式サイトより

感想

こんにちは、箱庭皇帝です。

この作品はもちろん既読で、犯人も覚えていましたが、いやあ、人間の記憶ってつくづくいい加減ですね。私のなかでは、同じ場所・同じ顔ぶれで三回パーティーのようなものがひらかれて、その都度事件が起こり、最後の事件でようやくポアロが犯人に引導を渡す、みたいな印象があったんですが、だいぶ違いました(笑)

『三幕の殺人』は徹頭徹尾演劇調、つまりリアリティとは対極にあるような空気感でプロットが組み立てられており、戯画的な登場人物から殺人の舞台装置、犯行動機やトリックに至るまで、ありとあらゆるものが作り物めいて感じられます。

そうした世界観が好きではない人からすると、この作品のとりわけ犯行動機の一つは納得しがたいものがあるもしれませんが、私はもともと現実と非現実の狭間にいるような世界観の作品が好きなので、すなおに受け入れることができました。それどころか精神医学の知見が増えた現在の感覚からすると、むしろこの犯人の行動はやたらリアリティがあるなとすら思ってしまいます。

本作では準主役の一人としてサタースウェイトという人物が登場しますが、この人はハーリ・クィンというキャラが主役の短編集(『謎のクィン氏』)で彼の相棒として活躍したキャラクターです。なぜ『三幕の殺人』にこのサタースウェイトを登場させたのか正確なところはわかりませんが、本作はプロットの都合上ポアロの登場機会が少なくなるので、ポアロ目当てで本作を手に取った人たちの不満を少しでも和らげるために、既存のキャラクターを登場させたのかもしれません(※海外では、もともとハーリ・クィンものとして考案されたが、出版社側の要請でポアロものに変更されたという興味深い説もあるようです)。ただし私自身は『謎のクィン氏』は既読であるものの、どんな話だったかまったく覚えていないので、「あのサタースウェイトさんが出てくれたから嬉しい!」みたいなのはとくにありませんでした(笑)。まあでも、作者のミスディレクションの巧みさに感心しながら読んでいたので、ポアロのいない捜査パートもそれほど退屈とは感じませんでしたけどね。

再読後に知ったのですが、本作は英国版(私が読んだのはこちら)と米国版で動機がまったく違うとか。動機がそこまで変わってくると、それ以前の部分もちょくちょく修正しないといけないはずで、けっこうな労力がかかりそうです。この時期のクリスティーの刊行ペースは尋常ではなく、そのうえお国事情に合わせてそのような改変までおこなってしまうとは、もっとも気力が充実していたからこそ可能だったんでしょうね。いずれ米国版のほうも読んでみたいものです(東京○元社様、Kindleで出してください)。

(※米版は西脇順三郎訳『三幕の悲劇』(創元推理文庫ほか)と松本恵子訳『三幕の殺人事件』(講談社)くらいしかないようです()。現時点(2025年10月)でいずれも絶版です)

最後に翻訳についてですが、個人的にはこの訳者のポアロの口調は相性がいいというか、しっくりくるものがありました。ただし作品リストを見ると、クリスティーの長編はほかに訳していないらしい。残念。

ネタバレ感想

今回、クリスティーの作品を刊行順に読んできて気づいたのは、『三幕の殺人』が過去作である『邪悪の家』と『エッジウェア卿の死』の延長線上にあるということです。この両者はそれぞれ光るところがあるものの見過ごせない欠点があるというのが私の抱いた感想でしたが、本作はこの両者の長所を伸ばし、短所を克服した作品だと思いました。

私は『邪悪の家』の読書感想において、フーダニットの意外性は十分だが若干逃げが見られると書きましたが、『三幕の殺人』は似たようなモチーフを用いながら、私が指摘した不満点をうまく回避しています。また『邪悪の家』について、もっとホワイダニットを全面に押し出すべきだったと言いましたが、まさにこの作品は特徴のあるホワイダニットを全面に押し出すことで、独創的なプロットを構築しています。

エッジウェア卿の死』では、私は大もとの動機に大いに不満をもちましたが、本作では似たような動機ではあるもののそれは普通の人にも十分推測できるものになっています。そして『エッジウェア卿の死』においてはメイントリックを成り立たせるための妥協のないミスディレクションの数々を褒めましたが、本作ではそこにホワイダニットを本質的に絡ませることで、より巧みで洗練されたミスディレクションになっています。

本作ではとりわけフーダニットの仄めかしが大胆になっており、

「いえ、いえ、手段はまったく違います。初めの事件では、誰であれスティーヴン・バビントンさんを毒殺することはできなかったように見えます。チャールズさんは、もしその気があれば、客のひとりを毒殺できたはずですが、特定の客は無理です。テンプルはトレイに最後に残ったグラスに、何かをこっそり入れることはできたでしょう――でもバビントン牧師が取ったのは最後のグラスではなかった。そうですとも、バビントン牧師を殺害するのは不可能としか思えない。いまだに、不可能だったと感じています――やはり彼の死は自然なものだったという気がしないでもありません……でも、それはまもなくわかるでしょう。第二の事件は違います。出席した客の誰でも、あるいは執事でも、メイドでも、サー・バーソロミュー・ストレンジに毒を飲ませることができたのです。それは少しも困難ではありません」

このあたりに作者の自信のほどが窺えます。

もう一つ注目すべきは、犯人が探偵役をつとめる構図が、江戸川乱歩が絶賛したある有名サスペンス小説とそっくりなところです。とりわけ終盤、チャールズ・カートライトがウィルズのもとを去る場面など、あの作品の有名なシーンを思い浮かべてしまいます。もちろん、『三幕の殺人』のほうが先に書かれているわけで、クリスティーの先進性の高さが窺えます。

この作品にももちろん欠点はあって、そのもっとも大きなものは、主要キャラ以外の登場人物に存在感が稀薄なところでしょう。そのためただでさえ退屈になりがちな捜査パートが、ポアロが登場しないことも相まって、よりいっそう味気ないものになってしまいました。ただし犯人を知ったうえでこの捜査パートを読むと、真犯人のチャールズがいかに人々の目を第一の殺人およびその動機に向けさせようと策を弄しているかがわかり、初読時よりもはるかに楽しめました。

これに関連して、クリスティーを読み慣れた人だと、メタレベルではさすがに犯人の予想はつきやすいかなというのもあります。何しろ描写が詳しいキャラクターは数えるほどしかいませんからね。とりわけチャールズが事件現場の屋敷に戻って手がかりを見つけるシーンに胡散臭さを感じた人は少なくないでしょう。

しかしながらそのように平然と芝居がかった嘘をつくことを含めて、この犯人が現代の精神医学でいうところのある種のパーソナリティ障害の性質をもっていると仮定すると、これら一連の行動はとたんに現実味を帯びてきます。みずからの目的のために、衆人環視のもと予行演習で罪もない赤の他人を殺したり、逆に長年の親友をあっさりと殺したり、会ったこともない女性を遠隔で殺したりなど、自分以外の人間を路傍の石としか思っていないような犯人の振る舞いは、反社会的な異常性格者の行動原理をよく表しています。そうした人物を百年近くも前に書いているのだから大したものです。

採点

フーダニット ★★★★ 若干過去作の焼きなおし気味だが、アンフェア感は減っている。
ハウダニット ★★★☆ トリックそのものよりも、それが不可思議に見える状況づくりがうまい。
ホワイダニット ★★★★★ 殺人の動機が、物語の謎に直結している。
ロジック ★★★ 直感だよりの推理は相変わらず。
プロット ★★★★ 大枠の構造は美しいが、脇役の活かし方が物足りない。
ストーリー ★★☆ ポアロのいない捜査パートがキツい。再読時のほうが面白い。
満足度 ★★★★☆ 過去作の不満点の多くを克服した快作。オチも洒落ている。

※採点項目の詳細については以下参照

フーダニット 犯人の意外性。単純に犯人の当てにくさだけでは決めない。ピースが嵌まるような爽快感重視。
ハウダニット 物理トリックや心理トリックなど各種トリック。必然性と噛み合うと高得点。荒唐無稽なのは減点。
ホワイダニット 犯行動機。必然性も重要だが新奇性、お涙頂戴系も評価対象。
ロジック 謎解きの合理性や登場人物の行動原理の妥当性など。納得感重視。
プロット 作品の構成力。伏線やミスディレクション、叙述トリックの巧みさなどもここに含む。無駄な要素は減点。
ストーリー 没入できたり、ページをめくる手が止まらないようなものは高得点。
満足度 読後感。必ずしも作品の質とは一致しない。多分に直感的かつ個人的。

項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品とのバランスを取るためにあとから評価を変更する場合もあります)。

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