アガサ・クリスティー長編十二作目/ポアロシリーズ長編六作目。
ポアロが登場することで成り立つ作品。
あらすじ
名探偵ポアロは保養地のホテルで、若き美女ニックと出会った。近くに建つエンド・ハウスの所有者である彼女は、最近三回も命の危険にさらされたとポアロに語る。まさにその会話の最中、一発の銃弾が……ニックを守るべく屋敷に赴いたポアロだが、五里霧中のまま、ついにある夜惨劇は起きてしまった!――早川公式サイトより
感想
こんにちは、箱庭皇帝です。
この作品も既読ですが、犯人以外はほとんど覚えていませんでした。逆に言うと、前作同様、犯人は非常に印象的で、個人的にはクリスティー作品のなかでももっとも記憶に残りやすい犯人の一人ではないかと思います。
私がこの作品を読んだのは犯人当て小説を読みはじめてまもなくだったこともあり、この犯人が明かされたときは純粋に驚き、また感嘆したことを覚えています。そのため、私の中でこの作品は比較的高評価だったのですが、今回読み返してみて、推理小説を見る目が肥えたいまとなっては当時ほど無邪気には評価できない部分も見えてきました。それについてはネタバレ感想のほうで。
再読して驚いたのは、うっすらと記憶していたつもりのストーリー展開やヒロインの振る舞いが、実際とはまったく異なっていたことです。ストーリーは終始家の中で進行するのかと思っていたら案外そうでもなかったし、ニックは深窓の令嬢とはかけ離れた奔放な性格で、あまつさえ途中で入院し、物語の表舞台からいったん消えてしまうのです。
嬉しい誤算だったのは、正直、犯人を覚えていたからちょっと退屈な読書になるかなあと覚悟していたのですが、これがどうして、犯人がこんなことをする動機がなかなか見えてこないのです。そういう意味ではホワイダニットとしてもとても楽しめる作品だと思いました。
今作のヘイスティングズは以前ほどには鬱陶しくはなく、またジャップともども、ポアロの扱いが巧みになっているのを感じます。これまでは一方的にやり込められていたような印象があったのですが、今作ではけっこうウィットに富んだやり方でポアロに応酬しています。これくらいのほうが気持ちのいい関係ですね。
それにしても本作の日本語訳はいままで以上にポアロとヘイスティングズの会話がフランクです。いくら相棒のような関係性とは言え、おそらくは相当な年齢差があるであろう両者がここまでタメ口で話をするのは個人的にはどうにも違和感が拭えません。そもそもポアロの口調もやたら俗っぽい。まあそう感じてしまうのはテレビの吹替版ポワロの影響が強いせいもあるでしょうが。
ちなみにChatGPTに二人の会話はタメ口と丁寧語のどちらがよりネイティブの感覚に近いのかと尋ねてみたら、なんとタメ口のほうが近いとのこと。それならこちらに慣れたほうがいいかと思ったんですが、次作の『エッジウェア卿の死』ではまた丁寧語会話に戻っているようです(笑)
ネタバレ感想
この作品のフーダニットはいわゆる「標的が犯人」パターンです。このタイプはメタ的な意味において、成立させるのが非常に困難なことが多いです。というのも推理小説の読者は基本あらゆることを疑って読んでいるので、殺されかけたのに死なない場合、それ自体が怪しさを増大させるからです。あまつさえこの作品ではそれが何度も何度も繰り返されます。
通常なら不可能なフーダニットを成立させるために、クリスティーはこれでもかと言わんばかりに怒濤のミスディレクションをプロットに注ぎこみます。その労力が報われたかというと、残念ながらその程度ではすれた読者の多くは欺かれません。ではなぜ、この作品の犯人に驚いた読者が少なからずいるのかと言えば、それはひとえに「名探偵」ポアロが彼女は犯人ではないと解決の直前まで言いつづけたからです。すなわちこの作品における犯人の意外性は「あの名探偵ポアロがここまで的外れの推理をしつづけるはずがない」という彼の能力に対する信頼性に依存しているのです。
これについての評価はさまざまでしょう。じっさい私も最初に読んだときにはそのことについてあまり深くは考えず、騙しのテクニックにすなおに膝を打ちました。しかしながら今回再読してみて思ったのは、やはりこれは妥協の産物ではないかということです。どういうことかと言うと、最初クリスティーは「何度も狙われていると思った人物がじつは犯人だった」というのは面白いんじゃないかと思いつきます。ところがどれだけプロットに工夫を凝らしても犯人の怪しさがちっとも薄まらない。で、けっきょくは正攻法で挑むことをあきらめて、名探偵ポアロの信用を利用したミスディレクションに頼ってしまったのではないかと思うのです。
ただしそれは見方を変えれば名探偵ポアロがいてはじめて成り立つ推理小説ということです。シリーズものの作品でよく目にする批判の一つに、「べつにこの探偵が出なくてもいいのではないか?」というのがあります。じっさい多くの推理小説においてある特定の探偵が出る必然性はそれほどないでしょう。しかし、この作品はその批判が当てはまらない珍しいケースであるとも言えます。そういう点からこの作品を評価する人がいてもおかしくはありません。
この作品はむしろホワイダニットの部分をより評価すべきかもしれません。遺言問題を軸に与える側から与えられる側への立場の反転が、フーダニットにおける被害者から加害者への立場の反転とも呼応していてお見事です。残念ながら、これまでのクリスティー作品でもたびたび見られたように、その謎を解き明かすのに英語固有の問題が絡んではきますが、当作についてはギリギリ翻訳でも理解できる範囲に収まっています。いっそのことこのホワイダニットをもっと前面に押し出すことで、フーダニットも正攻法のプロットで成立していたかもしれません。それが奏功すれば、この作品は掛け値なしの名作となったことでしょう。
本作では「無意味な死」というものに人間がどういう感情を抱くのかということをあらためて考えさせられます。じつはマギーが間違って殺されたのではなく、狙われて死んだのだと知ったとき、我々読者は彼女が生き返るわけでもないのに、どこかホッとした気分になったのではないでしょうか。これほどに人間は無意味な死というものに耐えがたい苦痛を感じる生き物なのです。日本でもこのことに真正面から取り組んだ有名作品がありますね。
採点
※採点項目の詳細については以下参照
項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品との兼ね合いで評価を変更する場合もあります)。
関連リンク
【Amazon】 [アガサ・クリスティー/真崎義博(訳)] 邪悪の家 (クリスティー文庫)
【Amazon】 [アガサ・クリスティ/厚木淳(訳)] エンド・ハウスの怪事件 (創元推理文庫)
【前作長編】 [アガサ・クリスティー/田村隆一(訳)] シタフォードの秘密 (クリスティー文庫)
【ポアロ前作長編】 [アガサ・クリスティー/青木久惠(訳)] 青列車の秘密 (クリスティー文庫)