【読書感想】 [アガサ・クリスティー/深町眞理子(訳)] 茶色の服の男 (クリスティー文庫)

茶色の服の男

アガサ・クリスティー長編四作目/レース(レイス)大佐シリーズ一作目。

アガサ版少女小説? でも、意外性は十分。

あらすじ

考古学者の父を亡くして間もないアンは、ロンドンの地下鉄で奇妙な事件に遭遇する。男が何者かに驚いて転落死し、現場に居あわせた怪しげな医者が暗号めいたメモを残して行方をくらましたのだ。好奇心に駆られたアンは、謎を追って単身南アフリカ行きの客船に飛び乗った。――早川公式サイトより

感想

こんにちは、箱庭皇帝です。

基本的にこの読書感想はクリスティーの刊行順にやろうと思っていたのですが、当作品は完全に見落としていました。ということで『アクロイド殺し』(長編六作目)の次に読んでいます。それくらい私にとっては存在感のない作品で、もちろん初読です。

この作品は全般にクリスティーの乙女要素満開で、私は子供のころ妹に借りて読んだコバルト文庫を思い出しました。さすがにこの歳でこのノリにはついて行けず、船室に飛び込んできた「粗野な男」に一目惚れするくだりなどツッコミを入れる気にもなれません。

また私に作品舞台の土地鑑がなく、当時の時代背景に疎いこともあって、南アフリカに渡ってからいったいどこでなにが起こっているのやらさっぱりわかりませんでした。というよりこの作品、私の理解力が足りないだけかもしれませんが、全般的に描写が雑で細部に理解しづらい点が多々あるように思います。

ただしそうした不満があるとしても、ミステリ小説としては相当な意欲作で、読む価値は大いにあります。犯人の意外性でいえばクリスティーのなかでもトップクラスではないでしょうか。私は完全に騙されました。

ストーリーも上ではちょっと批判的に書いていますが、それは私が年を食ったからで、若い方、とりわけ女性ならとても楽しめるのではないでしょうか。少なくとも『スタイルズ荘の怪事件』よりは面白いでしょう。

読後に知ったことですが、主要登場人物の一人・シューザンは、より日本人に馴染みのある言い方をすればスザンヌ(Suzanne)さんですね。こっちのほうがしっくりきます。ハーミオン・ライトがハーマイオニーさんだったことを知ったとき以来の驚きでした。ちなみにハヤカワ文庫の旧訳版ではシューザンはスーザン、レース大佐はレイス大佐という表記のようです。

今作品で初登場のレース大佐は私にとっては『ひらいたトランプ』以来の出会いでしたが(あ、『ナイルに死す』にも出てたかも)、いまいちつかみどころのないキャラですね。『スタイルズ荘』のヘイスティングズよろしくヒロインにいきなり告白したところくらいしか印象に残っていません。次回作以降でより大きな見せ場は訪れるのでしょうか。

以下、蛇足。

第六章で、

後半の1と2のあいだが、ちょっとあいている。そこで、前半の一七一から、後半の二二を引いてみた。答えは百五十七。もう一度やりなおすと、今度は正しく百四十七になった。演算練習としては、こういう計算もまことに結構ではあるが、謎の解明には、てんで役だたない。

とありますが、上記の147は正しくは149でしょう。はたしてこれは私には理解できないユーモアなのか、あるいはなにかの伏線なのかと頭をひねりましたが、原文では、

There was a space between the one and the two. I accordingly subtracted twenty-two from a hundred and seventy-one. The result was a hundred and fifty-nine. I did it again and made it a hundred and forty-nine. These arithmetical exercises were doubtless excellent practice, but as regarded the solution of the mystery, they seemed totally ineffectual.

となっているので、単に翻訳時のうっかりミスのようです。あるいは原文にも間違っているバージョンがあるのかもしれませんが。

ネタバレ感想

というわけで、繰り返しになりますが、この犯人には驚かされました。驚かされた理由は複数あって、一つは単純に叙述トリックが優れていたこと。これはまあいいでしょう。問題は次ですが、このトリックをこの時点で用いていたこと。例の作品を読んだことがある人なら私がなにを言わんとしているかはおわかりでしょう。こうしてみると、あの作品に対する解釈というか位置づけも少々変わってくるかもしれません。やはり気に入った作家の作品はできるだけ刊行順に読んだほうがいいですね。

さらにもう一つ。それは犯人の造形がおよそクリスティーらしからぬこと。私はクリスティーの長編を七、八割は読んでいると思うのですが、このような一見愚鈍かつ脳天気な、脇役風のキャラが犯人である作品はあまり記憶がありません。クリスティーが若い時分にこの手の犯人を書いていたことは本当に意外でした。

その他のミスディレクションについて。

ミス・ペティグルーが男であることはすぐに気づきました。男女の入れ替わりというのはけっこう反則すれすれなので、これはあえて気づかせるよう露骨な描写にしたのでしょう。そういうバランス感覚はさすがクリスティーといったところです。そのペティグルーをはじめ、チチェスターが一人何役もこなし、いろいろ暗躍しているのも面白い。

レース大佐の存在もリアルタイムで読んでいた読者なら純粋に容疑者の一人となっていたはずですが、我々は残念ながら彼が犯人でないことをメタ的に知っています。ここら辺はシリーズもののジレンマですね。

その他の登場人物も満遍なく怪しくて、この作品は怪しさの配分がとてもよいと思います。それでいて真犯人はその怪しさの網から巧みに逃げおおせているのがお見事です。

採点

フーダニット ★★★★★ とても驚いた。クリスティーらしからぬ犯人。
ハウダニット ★★ 特別なトリックは用いられていない。
ホワイダニット ★★ 動機を探る物語ではない。
ロジック ★★ あまり理詰めで解くような話ではない。
プロット ★★★★ 手記を書く理由は某作品よりは自然。
ストーリー ★★★ 秘密機関と同様の青春冒険活劇だがより若い女性向き。展開はかなり雑。
満足度 ★★★☆ 犯人の意外性は大満足だが、それ以外が私にはまぶしすぎる。

※採点項目の詳細については以下参照

フーダニット 犯人の意外性。単純に犯人の当てにくさだけでは決めない。ピースが嵌まるような爽快感重視。
ハウダニット 物理トリックや心理トリックなど各種トリック。必然性と噛み合うと高得点。荒唐無稽なのは減点。
ホワイダニット 犯行動機。必然性も重要だが新奇性、お涙頂戴系も評価対象。
ロジック 謎解きの合理性や登場人物の行動原理の妥当性など。納得感重視。
プロット 作品の構成力。伏線やミスディレクション、どんでん返し、叙述トリックの巧みさなどもここに含む。
ストーリー 没入できたり、ページをめくる手が止まらないようなものは高得点。
満足度 読後感。必ずしも作品の質とは一致しない。多分に直感的かつ個人的。

項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品との兼ね合いで評価を変更する場合もあります)。

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【次作長編】 [アガサ・クリスティー/高橋豊(訳)] チムニーズ館の秘密 (クリスティー文庫) ※バトル警視

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