こんにちは、箱庭皇帝です。
ここ二十年ほど、アガサ・クリスティーやエラリー・クイーン、ディクスン・カーなど、おもに前世紀に活躍した海外ミステリー作家の新訳版の刊行が盛んになっています。こうした流れに触発されて、私も若いころに楽しんだこれらの作家の作品世界にふたたびどっぷりと浸かってみたくなりました。どうせ読むなら書評――の書き方はわからないので感想文を書いてみようということで、まずはクリスティーのデビュー作からはじめてみようと思います。
あらすじ
旧友の招きでスタイルズ荘を訪れたヘイスティングズは到着早々事件に巻き込まれた。屋敷の女主人が毒殺されたのだ。調査に乗り出すのは、ヘイスティングズの親友で、ベルギーから亡命したエルキュール・ポアロだった。――早川書房公式サイトより
感想
久しぶりに読むクリスティーの作品。小学生のころジュブナイルのホームズものを読んで探偵小説に嵌まり、それを読み終えて次に目をつけたのが早川文庫の赤い背表紙のクリスティーものでした。最初に読んだのは『ひらいたトランプ』で、この作品で犯人当てという概念を知って感動し、いきおいクリスティーの作品は八割方読んだと思います。
それではこの『スタイルズ荘の怪事件』も当然すでに読んでいるのかというと、実は初読になります。というのもこの作品を読むまえにあるところで根幹部分のネタバレを喰らい、読む気が失せてしまったからなんです。そうしていつか読もうと読もうと思っているうちに気がつけば何十年も経っていました。
実際に読んでみた感想ですが、いろんな意味で予想を裏切られました。まずクリスティーにしては設定が込み入っていてプロットも舞台装置も複雑です。これはデビュー作だけあって相当に気合いが入っていることの表れでしょう。よく言えば読み応えがありますが、反面、一読しただけでは事件前後の登場人物の行動を把握するのが困難で消化不良を起こすかもしれません。
物語は私には退屈で、読むのにやたら時間がかかりました。ポアロはともかくとして、全般に登場人物に魅力がなく、語り手のヘイスティングズさえもその愚鈍さや突飛な行動になかなかイライラさせられます。たとえばお世話になっている知人の妻に横恋慕したり、たいして親しくもない若い娘にとつぜんプロポーズしたりするところなど、ライトノベルによくいるコミュ障の男主人公も真っ青のレベルです。
犯人の意外性とその隠し方は申し分なく、事前にネタバレを喰らっていた私でさえ、読んでいる最中、ほんとにこいつが犯人なのかと疑心暗鬼になるほどでした。これは探偵役であるポアロがその時々で容疑者について語る際の(作者の)言葉選びが巧妙で、ミスディレクションとしてよく機能しているからでしょう。ただし探偵小説の黄金時代を代表する著者のデビュー作でありながら、犯人当て小説を読んだことがない人に真っ先におすすめできるような作品ではなくなっているというのが皮肉なところです(あ、もちろん初心者が読んでも十分楽しめますよ)。
そして何気に見逃せないのは、ミステリ小説として、質的にも形式的にも、古臭さをまったく感じさせないこと。たとえばこの二年後に英国で刊行された『赤毛のレドメイン家』(1922)あたりと比べると、その先進性は明らかでしょう。私は『スタイルズ荘』を実際に読んでみて、この作品のミステリ史における位置づけはかなり過小評価されているのではないかと感じました。
なお、ロマンスはいつもどおりのクリスティー節です(笑)
ネタバレ感想
先ほど読むまえにネタバレされたと書きましたが、白状すると本作の犯人を完全には当てられませんでした。
というのも、ネタバレはネタバレでも直接犯人をバラされたわけではなく、「『検死審問で無罪を勝ちとれば、その件でふたたび裁判にかけられることはない』という英国の制度を利用して、遺産相続と地位の安泰を確保する」という犯人の狙いをバラされたからでした。
そのため犯人は一人だと思い込んでいて、共犯者(むしろこちらが黒幕)の存在が盲点になっていたわけです。
その共犯関係の隠し方ですが、まさかデビュー作からこの手法を用いていたことにとても驚きました。まさに「作家のデビュー作にはその人のすべてが詰まっている」ですね。
それにしてもデビュー作にして、「最も怪しい人間がやはり犯人だった」というフーダニットを用いている(そのため初心者向けではないと上に書きました)ことは注目に値します。つまりこの本が発売されたときにはすでに「最も怪しい人間は犯人ではない」というお約束があったことになります。私はこの時代のミステリ小説にあまり通じていませんが、当時の犯人当て小説の水準や、ミステリ小説ファンの成熟度がどの程度のものであったのかについては興味がありますね。
殺害に使われたストリキニーネについては複数のミスディレクションが用いられ相当気合いが入っていますが、その追求に専門知識が必要となるところがちょっと残念ですね。ローレンスがシンシアを庇うために死因が強壮剤という無理のある説をあげた→実際にそのとおりだった――というのは面白い。
これ以外にもこの作品には大きいものから小さいものまでふんだんにミスディレクションが盛り込まれていて、とても贅沢な中身になっています。偉大な作家のデビュー作として申し分のない出来と言えるのではないでしょうか。
ところでミセス・レイクスが登場人物表に載っていないのはなぜ?
採点
※採点項目の詳細については以下参照
項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品との兼ね合いで評価を変更する場合もあります)。
関連リンク
【Amazon】 [アガサ・クリスティー/矢沢聖子(訳)] スタイルズ荘の怪事件 (クリスティー文庫)
【Amazon】 [アガサ・クリスティ/山田蘭(訳)] スタイルズ荘の怪事件 【新訳版】 (創元推理文庫)
【次作長編】 [アガサ・クリスティー/嵯峨静江(訳)] 秘密機関 (クリスティー文庫) ※トミーとタペンス