【読書感想】 [アガサ・クリスティー/田村隆一(訳)] シタフォードの秘密 (クリスティー文庫)

シタフォードの秘密

アガサ・クリスティー長編十一作目/ノンシリーズ。

小粒だがキラリと光る作品。ただし翻訳に深刻な問題あり?

あらすじ

雪に覆われ下界と遮断されたシタフォード村の山荘。そこに集まった隣人たちが退屈しのぎに降霊会を試みる。現われた霊魂は、はるかふもとの村に住む老大佐の殺害を予言した! 駆けつけると、大佐は撲殺されており、しかも殺害時刻は、まさに降霊会の最中だった……絶妙のトリックが冴える会心作。――早川公式サイトより

感想

こんにちは、箱庭皇帝です。

この作品は既読なうえに、けっこう中身も覚えているんですよね。それは一つには内容の密度が薄いこともあるんですが、それ以外にも犯人のキャラクターと動機、そしてトリックが非常に印象に残っていることもあります。それともう一つ、はじめてこれを読み終えたとき、ある記述がとてもアンフェアに思えたんです。これについてはずっともやもやしていたので、ある意味、再読するのを楽しみにしていたところはあります。そのもやもやが解消されたのかはネタバレ感想に譲るとして、まずはそれ以外のところから語っていきます。

さて、舞台はイギリス南西部のダートムア。ダートムアといえばコナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』を思い浮かべますが、じっさい『シタフォードの秘密』はかなりこの作品を意識しているのだとか。というのもこの本が発売される前年にコナン・ドイルが亡くなっているのです。言われてみれば両作ともダートムアからの脱獄囚の話や博物学者が出てきますし、作中に降霊術が出てくるのも晩年のドイルが降霊術にハマっていたことと関係しているのでしょう。

降霊術については『七つの時計』を思わせる魅力的な導入部にもなっており、この作品のメイントリックを構成する要素の一つでもあります。そして事件の真相を知ったうえでこの場面を読むと、かなり大胆なプロットだなあと思うのと同時に、なかなか笑えてくる光景でもあります。

『シタフォードの秘密』はクリスティーには珍しくトリックが前面に押しだされた作品ですが、トリックそのものが優れているというよりも、その隠し方やヒントの出し方に工夫が凝らされています。つまりこのトリックを使うためにはある条件が必要なのですが、その存在を直接的な言葉を用いずに作品全体にうまく散りばめて表現してあるのです。

動機も同様に、それ自体は凡庸ですが、そのヒントの出し方が非常に巧みです。私は動機が明らかになったとき思わず膝を打ってしまいました。これらは決して偶然の産物ではなく、この「仄めかしの工夫」こそがクリスティーが本作のプロットを作成するにあたり、軸としたテーマと言えるでしょう。

本作のヒロインはクリスティーのテンプレ的お転婆娘といった感じですが、今回彼女の恋の行方がどう転ぶのかは、まったく覚えていなかったこともあり、一番ハラハラした箇所かもしれません。で、この結末を見て、クリスティーって男らしい作家だなあと思いました。

ネタバレ感想

さっそくネタバレになりますが、犯人は被害者であるトリヴェリアン大佐の友人、バーナビー少佐でした。私はこの犯人の名前が明かされたとき、「え、そんな馬鹿な」と思わず心の中で叫んでしまいました。

というのも、エミリーの解説によると、バーナビー少佐は五時四十五分に大佐を殺害し、すべての細工を終えたのが八時前で、少し回り道をしてからすぐに現場であるヘイゼルムアの家の前に戻ってきます。そして第三章の冒頭(八時になるほんの少し前)に繋がるわけです。つまり彼はこの時点で家の中に死体以外に人がいないことはとうぜん知っています。

それに続く場面を以下に引用します(太字は引用者。以下同)。

 彼は三度目のベルを鳴らした。今度はベルに指を押しあてたままにした。ベルは鳴りつづけた。だがこの家はまるでどのような生き物もいないかのように、なんの反応も示さないのだ。
 ドアにはノッカーがついていた。バーナビー少佐はそれをつかむと、雷鳴のような音を立てて、激しく打ち鳴らした。だが依然として、この小さな〝ヘイゼルムア〟は死人のように押し黙ったままだった。
 少佐は断念したすっかり途方に暮れたまま、しばらくのあいだたたずんでいたが――やがて小道をとぼとぼと引き返して、いままで歩いてきたエクスハンプトンに通じる街道に面している門の外に出て行った。百メートルも歩いて行くと、小さな派出所があった。

最初のベルを鳴らしたりドアをノックしたりするくだりはいいでしょう。誰が見ているかわからないので、保険のために何も知らない訪問者のふりをするわけです。むしろその素振りを見てもらったほうがいいくらいなので、誰かに気づいてもらうべく積極的に「雷鳴のような音を立てて」さえいます。

問題は次の段落です。「少佐は断念したすっかり途方に暮れたまま、しばらくのあいだたたずんでいたが――」。中から誰も出てこないことは知っているはずなのに、「断念する」とか「途方に暮れる」という表現には違和感があります。じっさいこの文章を見て、初読時の私は彼を容疑者リストから外したのでした。

ところで、クリスティーの三人称はしばしば演劇を見ているようだと言われます。すなわち普段は観客の立場で登場人物の振る舞いやその場の景色を眺め(客観視点)、ときに特定の人物にスポットライトが当たるとその人物の心情や見た景色が描写される(主観視点)という具合です。上記訳文では問題の箇所は主観視点で書かれているように見えます。

しかし原文を参照してみると、

  There was a knocker on the door. Major Burnaby seized it and worked it vigorously, producing a noise like thunder.
  And still the little house remained silent as the dead.
  The Major desisted. He stood for a moment as though perplexed – then he slowly went down the path and out at the gate, continuing on the road he had come towards Exhampton. A hundred yards brought him to the small police station.

「断念した」に当たる語は「desist」になっています。「desist」というのは「やめる」という意味です(※断念するという意味もあります)。そして次の文章に「as though... (~のように)」が使われています。つまりここでは、

少佐は(ドアを叩くのを)やめた。彼は途方に暮れたように、しばらくのあいだたたずんでいたが――

と、客観視点で訳すのが適切なように思います。これならアンフェアな印象はなくなるでしょう。

【追記】

この記事を書き終えた直後に気づいたのですが、訳者が「断念した」と訳した理由は、「少佐が自分の演技を誰かに目撃してもらうのを断念した」と解釈したからなのかもしれません。つまり「目撃されることを本気で期待していたが、それが叶わなかった」から「途方に暮れた」と。「desist」には「あきらめる」というニュアンスが入っているようなので、こちらの解釈もできないことはないですね。これならたしかにアンフェアとは言えません(私はそもそも悪天候で出歩いている人はほとんどいないだろうけど念のために演技をしていると解釈していました)。

ただしクリスティーの意図としては、「ここは客観的に見たとおり描写したまでです。解釈はお好きにどうぞ。でも嘘はついていませんよ」ということなので、客観視点で訳すのが無難かなあとは思います。

いずれにせよクリスティーは「The Major desisted.」と、どうとでもとれるような表現をして、読者をミスリードしようとしていますが、日本語には一対一に対応する言葉がないので、訳者は苦労しますね。

【追記ここまで】

さて、この作品はよくも悪くもトリックが話題になりますが、あまりこれを評価できない人の意見として、「スキーのトリックなんて真っ先に疑われるだろ」というものがあるかもしれません。しかしながら身近にこういう事件が起きたとして、我々は(警察も含め)この手のトリックを人が使うとはなかなか考えないように思います(とくにバーナビー少佐は被害者の親友と見られていましたしね)。なぜなら現実の人間はあえてトリックを用いるような積極性をあまり持ち合わせてはいないからです。

もちろん『シタフォードの秘密』は小説世界の話ですが、その前提には現実世界が模写されていると捉えるべきでしょう。それゆえ作品内では「ブーツ」というアイテムが出てきてはじめて探偵役がスキーを連想できたというのは個人的には許容できる論理展開かなと思います(ポアロのような超人探偵がいるなら話は変わってきますが)。ただしそのブーツのありかを警察が発見できなかったのはちょっと納得しがたいですが。

いっぽう、俯瞰的・メタ的推理ができる読者にとって最大のヒントとなるのは「雪の斜面」ということになります。さきに述べたとおり、作者はこのヒントを作中に婉曲的に何度も表現しています。よって最後にいきなりスキーというトリックが明かされたとしても我々は文句を言うことはできないわけです。

動機についてもバーナビー少佐がお金に困っていることは作中でたびたび触れられていますし、

 ちょうどその頃、バーナビー少佐は会計簿をつけていた――あるいはディケンズ流に言えば、彼は自分の関心事に目を通していたわけである。少佐はきわめて几帳面な男だったので、子牛革で装丁した帳簿に売買した株や、それに伴う損益をそのつど記入していたが、いつも損の場合が多かった。それは多くの退職士官の場合と同じく、少佐も、安全に地味に儲けようとしないで、一気に大きな利益をあてこんで、かえって損をしてしまうからだった。
「この石油株は有望だと思ったんだが。将来、相当な金になるように見えたよ。だが、前のダイヤモンド鉱山と同じくらい、ひどいもんだ! カナダの土地は今のところ間違いあるまい」と、彼はつぶやいていた。

この部分の、堂々たるヒントの与え方はフェアネスのお手本と言っても過言ではないでしょう。

惜しむらくは(作者の責任ではないですが)、我々には当時の五千ポンドの価値がいまいちピンとこないところでしょうか。ちょっと調べてみましたが、何千万円? それだったらけっこうな大ごとですね。じっさいのところどうなんでしょう。作中には大佐の遺産の総額が八~九万ポンドと書かれているので、そこら辺からも類推できるかな?

それと個人的にはバーナビー少佐というのはいまいち憎めないんですよね。なんかね、つねに身近に自分より優れた人がいて、ずっと鬱屈を隠して生きつづけてきた人生とかね。こういう人物はついつい感情移入してしまいます。まあ殺人犯ですが。

エミリーの恋愛模様も男である私の立場からすると、(NTRも嫌だが横領野郎も嫌だなあという)悪い意味での究極の選択といった感じで、男性作家ならエンタメではあまり書こうと思わないテーマでしょう。最後の決定は私のような冴えない男からすると救いのようにも思えますが、ジェイムズが美男であることを忘れてはいけません。ブサイクだったら結論が変わっていたかもしれません(笑)

【その他メモ書き】

  • 私はなんとなく事件はナラコット警部が解決したように記憶していたんですが、最後までエミリーが優秀な探偵でしたね。
  • そのナラコット警部もレギュラー化されてもおかしくない雰囲気を醸しだしていましたが、じっさいに英国のラジオドラマに登場しているらしいです。
  • バーナビー少佐が出てくるとなぜかドラクエ4のライアンの姿が思い浮かびます(笑)
  • 監獄からの脱走ってさらっと言ってるけどなかなかすごい計画だよね。

採点

フーダニット ★★★★ なかなか意外なんじゃないでしょうか。少なくとも忘れられない犯人ではある。
ハウダニット ★★★★ シンプルなのをよしとするか悪しとするか。私は前者かな。
ホワイダニット ★★★★☆ 直接の動機と補助的な動機と。前者は盲点、後者は心に来る。
ロジック ★★★ 作中人物の推理としては終盤のある一つの証拠に頼りすぎか。
プロット ★★★☆ ミスディレクションは優秀だが、無駄な部分も多いと感じる。
ストーリー ★★☆ 男を手玉に取る系ヒロインの活躍劇に魅力を感じるか。私はやや否定的。
満足度 ★★★★ やや水増し臭を感じるが、とても印象に残る作品。

※採点項目の詳細については以下参照

フーダニット 犯人の意外性。単純に犯人の当てにくさだけでは決めない。ピースが嵌まるような爽快感重視。
ハウダニット 物理トリックや心理トリックなど各種トリック。必然性と噛み合うと高得点。荒唐無稽なのは減点。
ホワイダニット 犯行動機。必然性も重要だが新奇性、お涙頂戴系も評価対象。
ロジック 謎解きの合理性や登場人物の行動原理の妥当性など。納得感重視。
プロット 作品の構成力。伏線やミスディレクション、どんでん返し、叙述トリックの巧みさなどもここに含む。
ストーリー 没入できたり、ページをめくる手が止まらないようなものは高得点。
満足度 読後感。必ずしも作品の質とは一致しない。多分に直感的かつ個人的。

項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品との兼ね合いで評価を変更する場合もあります)。

関連リンク

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【次作長編】 [アガサ・クリスティー/真崎義博(訳)] 邪悪の家 (クリスティー文庫) ※ポアロ

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