アガサ・クリスティー長編九作目/バトル警視シリーズ二作目。
ツッコミどころは多いが意外性は十分。
あらすじ
チムニーズ館に滞在していた外交官が、睡眠薬を飲んで謎の死を遂げた。かたわらには七つの目覚まし時計。これは何を物語るのか? そして謎の〈セブン・ダイヤルズ・クラブ〉と事件の関係が疑われるが……。謎が謎を呼ぶスパイ・スリラー。――早川公式サイトより
感想
※初読です。
こんにちは、箱庭皇帝です。
またしてもスパイものですが、これでようやくひと区切りで、次作以降しばらく本職である(?)探偵小説が続きます。ということで、一抹の寂しさは……とくにありませんが、この作品についてはそれほどの駄作でもありません。とりわけストーリー展開の巧みさはデビュー直後に比べると格段に向上しているのを感じます。
本作は『チムニーズ館の秘密』の続編に当たりますが、前作では端役にすぎなかったバンドルが主役に躍り出ています。父である脳天気なケイタラム卿との掛け合いも面白く、こうした親子関係は読んでいて微笑ましいものがあります(ただし前作でも思いましたが、彼女の乱暴な運転模様はこれが現代日本で書かれたら作者もろとも非難囂々になること間違いなしでしょう。じっさい今回はもう少しで人殺しになるところでした)。
また彼女の周りには英国の上流階級の若者がたくさん登場し、その小憎らしい悠々自適とした暮らしぶりがいきいきと書かれています。まあじっさいには百年前とは言え、こんなお気楽な暮らしを送れている人はそれほど多くなかったかもしれませんが。
さて、事件は朝寝坊をしがちな外交官の若者を懲らしめるために、友人たちがちょっとした罰として彼が寝ているあいだに寝室に八つの目覚し時計を仕掛けて驚かせてやろうと企むところから始まります。ところが翌朝になると彼はベッドで亡くなっており、室内にバラバラに仕掛けたはずの八つの時計はいつの間にか七つに減ってマントルピールの上に並べられています。はたしてそんな細工をしたのは誰なのか。また何のためにそんなことをしたのでしょうか。
……どうです? なかなかに魅力的な謎ではないですか。ここまでのクリスティーの長編のなかではピカイチの導入部だと思います。その謎に満足のゆく解答が得られるかはともかくとして、『チムニーズ館の秘密』から読みつづけてきた読者はある真相に驚愕することは間違いありません。私も心底驚かされました。
それにしてもクリスティー作品は全般に私がノーマークだったものほど驚かされることが多いような気がします。つまり有名作以外にも見るべき作品がたくさんあるということでしょう。やはりクリスティーはただ者ではありません。
この作品はスパイものですが、スパイものとしてのスケール感は比較的小ぶりです。ただし作者自身が認めるように本作含め彼女のスパイものの大半はあくまでも「気軽なスリラー・タイプ」なので、これくらいがむしろちょうどいいと思います。これが『ビッグ4』くらいのスケールになっても嘘臭さが増すばかりですからね。ただし毎度毎度謎のアジトに侵入するのはどうにかならんものか(笑)
バトル警視は登場シーンは少ないものの相変わらず渋くていいですね。次回、『ひらいたトランプ』でのポアロとの共演がますます楽しみになりました。前回読んだときはバトル警視にもレース大佐にもまったく思い入れがなかったですからね。
ロマンスは前回がちょっと異質でしたが、今作ではいつものクリスティー節が戻ってきたので、安心して読んでください(笑)
ネタバレ感想
バトル警視の前作『チムニーズ館の秘密』でもそうでしたが、今作も解くべき謎が複数あります。おもなものを列挙すると、以下のようになるでしょう。
2. セブン・ダイヤルズとはいかなる組織か。また首領である〈ナンバー7〉の正体は?
3. 時計の細工をしたのは誰か。またその目的は何か。
1については、クリスティーとしては標準的な犯人でしょう。またしても単独犯ではなく共犯がいるのが玉に瑕ですが、あとからざっと読み返してみると、主犯であるジミーの目を通してみたロレーンの描写に工夫が凝らされていて、なかなか面白いです。それにしてもこのロレーンという女は根っからのすれっからしですな。お兄さんとロニーが憐れでなりません(涙)
この作品の白眉は何と言っても2についてでしょう。とりわけ〈ナンバー7〉の正体が明らかになったとき驚かなかった人はそうはいないはずです。とは言え、手放しで褒められたものではありません。やはりどう考えても寡黙で重厚なバトルの人柄にはそぐわず、意外性のために作者に都合よく動かされた感は否めません。
3はなかなか魅力的な謎ですが、その真相については残念ながら肩透かしに感じてしまった人が少なくないでしょう。しかしロニー・デヴァルーがそれをおこなったタイミングについてはなかなか興味深いものがあります。おそらくはロニーとジミーがロレーンへの事件の報告から帰宅した直後にこの細工をおこなったのだと思われますが、バトルの推理ではこの時点ではまだジミーへの疑いはほとんどなかったとのことです。しかしながら個人的には、この時点で直感的にせよジミーを第一に疑い、ジミーの反応を窺うために細工をおこなったとしたほうが、よりこの細工の存在意義が高まり、読者の物足りなさも少しは軽減されたように思います。
私は『チムニーズ館の秘密』において作者が「人物の偽装」にこだわっているように見えると書きましたが、当作にもこだわりがあるとすれば、それは「印象の反転」ではないでしょうか。たとえば胡散臭い組織に見えたセブン・ダイヤルズがじつは正義のための組織だったり、享楽的なボンボンに見えた若者たちがじつはけっこう真面目に国のことを考えていたり、軽薄に見えたビルがじつは意外と一途だったり、犯人の細工に見えた七つの時計がじつは犯人に対する宣戦布告だったり、ジミーがロレーンにぞっこんなのかと思いきやじつはロレーンがジミーにぞっこんだったりなどなどです。そういう意味では堅物に見えたバトル警視がじつはあんな組織に深入りするようなお茶目な性格だったのにもそういう意図があったりするのかもしれませんね。
ところで、この作品を読んでいるあいだずっとジミーは何をして生計を立てているのだろうと疑問に思っていましたが、作中の誰もそれを深く突っ込まないので、むかしの英国にはこういう人が普通にいるんだろうなと解釈して読み進めていましたが、最後にバトルの口からそれ自体がやっぱり不自然だったと明かされてずっこけました。こういう誰もが疑問に思うようなことを伏線として引っ張りつづけるのはあまり好ましいとは言えないでしょう。
採点
※採点項目の詳細については以下参照
項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品との兼ね合いで評価を変更する場合もあります)。
関連リンク
【Amazon】 [アガサ・クリスティー/深町眞理子(訳)] 七つの時計 (クリスティー文庫)
【Amazon】 [アガサ・クリスティ/中村能三(訳)] 七つのダイヤル (創元推理文庫)
【前作長編】 [アガサ・クリスティー/青木久惠(訳)] 青列車の秘密 (クリスティー文庫) ※ポアロ
【次作長編】 【読書感想】 [アガサ・クリスティー/羽田詩津子(訳)] 牧師館の殺人 (クリスティー文庫) ※ミス・マープル