アガサ・クリスティー長編六作目/エルキュール・ポアロ長編シリーズ三作目。
アガサ・クリスティーを一躍有名にした大出世作。
あらすじ
名士アクロイドが刺殺されているのが発見された。シェパード医師は警察の調査を克明に記録しようとしたが、事件は迷宮入りの様相を呈しはじめた。しかし、村に住む風変わりな男が名探偵ポアロであることが判明し、局面は新たな展開を見せる。――早川公式サイトより
感想
※既読ですが細部はあまり覚えておらず。
こんにちは、箱庭皇帝です。
ご存じ、クリスティーの有名作、『アクロイド殺し』。
全二作でワトソン役を務めたヘイスティングズは早々に退場し、今作における名探偵の相棒兼事件の記述者はポアロが引退後にやってきた村に以前から住んでいた医師のシェパードになります。
同じ記述者でもヘイスティングズとシェパードではかなり様相が異なり、前者がかなり間抜けでイライラさせられることが多いのに対し、後者は筆致にも抑制があり、自身もそれほど出しゃばらないところに好感が持てます(笑)。またヘイスティングズは基本的に事件の部外者ですが、シェパードは事件の起きた村の医師なので、物語への関わり方にもそれほど無理はありません。
大まかなプロットはデビュー作の『スタイルズ荘の怪事件』に似ていて、地元の名士が殺されて、さまざまな人物が容疑者として浮かび上がるというおなじみの展開です。ただしデビュー作に見られた過剰なまでの複雑さはなくなり、初読でも事件の大体の流れは無理なく把握できるようになっているなど、まさに黄金時代の教科書的な作品に仕上がっています……と見せかけておいて、この作品は全体をとおし、背後にとても大胆なトリックを忍ばせています。
その驚きを純粋に味わいたいなら、何はともあれ、いますぐに作品を読むことです。私が言えることはそれだけです。
今回再読して思ったのは、この作品はこんなに面白かったのかということです。初読時は、トリックはすごいがそれ以外は単調でつまらないという印象でしたが、どうしてどうして、作者が諸々いかにも楽しそうに書いているのが伝わってきて、その都度こちらもつられてほくそ笑んでしまいます。クリスティーさん、ノリノリです(笑)
これは再読時にしかできない味わい方です。以前にこの作品をお読みになったかたも騙されたと思って再読してみてください。その際はもちろんあの人の立ち場で読み進めましょう(笑)
ネタバレ感想
……と、ここまでなるべく先入観を持たれないような書き方をしてきたつもりでしたが、これでも察しのいい人には犯人がわかってしまうかもしれません。それでなくとも見かけは極めてオーソドックスなこの作品がこれだけ有名になっている理由を考えると、読んでいる最中にピンとくる人も少なくないでしょう。
ということでさっそくネタバレをしてしまいますと、この事件の犯人は語り手のシェパード医師です。すなわち自分で被害者を殺しておきながら、それを隠してしれーっとワトソン役を演じているわけです。
当然ですが、この作品が公開されると、これがフェアかアンフェアかで論争が起こりました。アンフェア派のおもな論点としては、
2. 重要なことをあえて書かないのはずるい。
という二点に集約されるでしょうか。
私の意見ですが、1について言えば、これはまったくそのとおりだと思いますが、よくよく考えてみると、大半の推理小説において真実性の保証なんて実はありません。それを読者である我々が真実だと受けとる理由はただ一つ、作者というメタ的な存在がそれを保証しているからということにすぎません。それは「アクロイド殺し」においても変わらないのではないでしょうか。
ただし作者もその点は気にしていたのか、作中でポアロに、
と言わせています。まあ、これすらも犯人の嘘の記述かもしれないと言われればそれまでですが。
2についても同様に、大半の推理小説において大なり小なり、重要なことを描写しないということはあります。さらに言えば、ある事実を終盤まで隠していたことじたいが賞賛されている作品なんかもままあります。結局のところこれは程度の問題にすぎないのではないでしょうか。
そこでこの作品を振り返ってみますと、基本的にシェパードの手記に嘘がないことを認めるならば、ポアロの知り得た事実と、読者である我々が知り得た事実に大差はないわけです。そのポアロが推理によってシェパードの書かなかった事実を言い当てているわけですから、読者にしても「一部の事実を隠されたからといって真相にたどり着けないわけではない」という理屈は一応成り立ちます。
それどころか今回再読して思ったのは、この作品の過剰なまでのヒントの多さです。クリスティーも前例がないトリック(じっさいにはあるらしい)という自信からか、他作品には見られないほどの露骨な仄めかしがてんこ盛りです。また、ミス・マープルの原型と言われる姉のキャロラインも、弟に関わることを除けば直感でビシバシ真相に肉薄します(笑)。そうした点において、この作品はアンフェアどころか、クリスティーの作品のなかでもトップクラスにフェアなのです。
まとめると、『アクロイド殺し』は真実性の保証という点で若干瑕疵はあるもののアンフェアというほどではない、というのが私の意見になるでしょうか。そもそも私は推理小説に厳密な論理性など存在しえないと考えています。だから私が重視するのは作者が提示する謎解きにどれだけ納得できるかということです。その意味では私にとって『アクロイド殺し』は納得寄りの作品になっています。
私が考えるこの作品の一番の欠点は、手記を書く動機でしょう。クリスティーも作中でもっともらしい理由をつけようとしていますが、とうてい納得できるものではありません。ほかの誰かをかばうために嘘の手記を書いたというほうがまだしっくり来ます。
それと手記を書く速さも尋常ではありません。相当な分量にもかかわらず、事件が起こってから半月と経たずに、丁寧な図まで用意して推理小説としてしっかりと体裁を整えたものを仕事をこなしながら書きあげる。あまつさえポアロの告発を受けたのち、寝る間を惜しんで残りの部分を仕上げもする。それらはあまりに超人的で、犯人が必死こいて執筆している光景を想像すると滑稽ですらあります。
この作品は現代ならば、手記という形をとらないか(独白形式)、三人称一元視点で書かれていたことでしょう。そうすれば真実性の保証がどうとかいう議論は起きませんし、手記を書く理由を考える必要もなくなります。この作品が手記であることに意義があるとする見方もあるようですが、個人的には作者が当時の慣習(ワトソンの手記形式)に従っただけのような気がします。まあ手記だったからこそここまで論争が巻き起こり、作品とその作者が一躍有名になったと言えるのかもしれませんが。
採点
※採点項目の詳細については以下参照
項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品との兼ね合いで評価を変更する場合もあります)。
関連リンク
【Amazon】 [アガサ・クリスティー/羽田詩津子(訳)] アクロイド殺し (クリスティー文庫)
【Amazon】 [アガサ・クリスティ/大久保康雄(訳)] アクロイド殺害事件 (創元推理文庫)
【前作長編】 [アガサ・クリスティー/高橋豊(訳)] チムニーズ館の秘密 (クリスティー文庫) ※バトル警視
【次作長編】 [アガサ・クリスティー/中村妙子(訳)] ビッグ4 (クリスティー文庫) ※ポアロ