アガサ・クリスティー長編十作目/ミス・マープルシリーズ一作目。
クリスティースタイルの完成。
あらすじ
嫌われ者の老退役大佐が殺された。しかも現場が村の牧師館の書斎だったから、ふだんは静かなセント・メアリ・ミード村は大騒ぎ。やがて若い画家が自首し、誰もが事件は解決と思った……だが、鋭い観察力と深い洞察力を持った老婦人、ミス・マープルだけは別だった! ――早川公式サイトより
感想
※既読ですが、まったく覚えておらず。
こんにちは、箱庭皇帝です。
記念すべきミス・マープルの長編一作目です(ただし彼女の初登場作品は雑誌掲載の短編「火曜クラブ」になります)。そしてまさに本作から、我々がイメージするところのザ・クリスティーな作風がスタートします。もちろんそれ以前の作品もクリスティーらしさは多分に見られますが、どこか荒削りで、ときに力業で読者を欺くようなところがありました。本作以降はそういう荒っぽさは影をひそめ、高い水準で洗練された作品が量産されていくことになります。反面、物議を醸すレベルの「驚愕の真相!」みたいのものは少なくなっていきますが。
さて、本作の感想ですが、ひと言で言ってしまえば、きわめて教科書的な推理小説――よくまとまってはいるが、特筆すべきものもないといった感じで、とても評価に困る作品ではあります。まあ、ミス・マープルシリーズ全般がよく言えば「落ち着いた作品」が多いので、当初からそれが暗示されていたというところでしょうか。
しかしながら若いころに読んだときよりも、今回再読したときのほうがはるかに楽しめたような気がします。というのも若いころの自分はミス・マープルの多面性のある性格も、戯画化された田舎描写の土台となっているリアリティも、いまいちピンときていなかったように思います。なので白状するとミス・マープルシリーズというのは「なんだか地味なお婆さんが、地味な事件を解決していくお話が多いなあ」といった印象で、惹かれる作品はそれほどありませんでした(ぶっちゃけ後半の数作は読んでなかったような気がします)。
それでも乏しいながらも経験を重ね、世の中には打算のない人間などいなかったり、田舎暮らしの実態だったりを多少なりとも知るようになってから本作を読み返すと、ミス・マープルの上品な振る舞いに見え隠れする俗っぽさや、一見のどかな田舎暮らしの裏にある窮屈さなどを、作者がとてもユーモラスかつ的確に描写していることに気がつきます。
この作品で魅力的なのはやはり四人の詮索好きな老婦人の存在でしょう。作中に村の概略図が挿入されていますが、それを見ると、これらの老婦人の家が事件現場の周辺に効果的に配置されているのがわかります。現代で言えば、これは一種の監視カメラです。その監視カメラの目をかいくぐり、ときにはそれを利用し、犯人はどのように犯行に及んだのか。真相が明らかになってから振り返ると、けっこう忙しいことに気がつくでしょう(笑)。そして殺人が実行された瞬間の光景は、なかなかにゾッとするものがあります。
ところで被害者のプロザロー大佐は他の登場人物からあしざまに言われることが多いですが、冷静に考えれば、この人、決定的に悪いことをしている描写がないんですよね。元の妻への扱いがひどかったというのも登場人物の一人が言っているだけで実態がどうかわかりませんしね。揉めごとの解決には得てしてこういう人が役に立つので、この村にとってこの人の死というのはじつはかなりの損失かもしれませんね。
ちなみに当初クリスティーはミス・マープルをシリーズものにするつもりはなかったと言っています。ほんまかいなと思ってしまいますが、たしかに次の長編である『書斎の死体』が発売されるのはこれから十二年後になるんですね(ところで本書と『書斎の死体』ってよく混同しませんか? こっちも書斎で人が死んでますし……)。
ネタバレ感想
さっそくネタバレからしてしまうと、犯人はけっきょくいかにも怪しそうなローレンス・レディングで、共犯者は被害者であるプロザロー大佐の二番目の妻であるアン・プロザローでした。けっこうクリスティーは犯人が男女のペアというケースが多いですね。ただし今回の共犯者はみずからの欲望のために自分の旦那を撃ち殺してますからね。いつになく凶悪な女です(笑)
クリスティーはこのような人間に対する評価を作中さまざまな登場人物に語らせるわけですが、一見すると見当違いな評価を下している人物の評価がじつは一番的を射ていた、というパターンを好んで使いますね。今回は被害者の娘であるレティスの、継母アンに対する評価がそれに当たります。それと関連してレティスが継母を罠にはめるために彼女のイヤリングを事件現場に落としておくところなどは(褒められた行為ではないですが)とてもうまいミスディレクションだと思いました。
さきに本作では詮索好きな老婦人が監視カメラの役割を担っていると書きましたが、その一人であるミス・マープルの人並みすぐれた観察眼を逆手にとって、アン自身が凶器を持っていないことの証明に利用しようとするところもよく考えられています。そして彼女がなにも携帯していないことが逆にミス・マープルの疑念を生んだという反転がまたお見事です。
事件直後にアトリエから出てきたレディングとアンが笑顔で話していたところは、私も読んでいて若干違和感を覚えましたが、じっさいそれこそがミス・マープルの事件解決への突破口となりました。このように読書中にかすかな違和感を覚えさせ、探偵の最終推理のお披露目時に「ああたしかにあのときちょっとおかしいと思った」と読者に言わしめるのが作者の真骨頂です。
本作で混乱させられるのは時間が15分進められていた時計の問題です。はたしてこれはプロット的に意味があったのか。この細工のせいで「犯人は時計の針が進められていることを知らなかった/知っていたがそのままにした/知っていたので戻した」等々、ややこしい考察をする必要が生じています。この謎が事件解決に重要なのかと思いきや、解決編でもそこら辺のところはじつにあっさりと済まされています。これがたとえばクイーンだったら、時計の針がずれていた事実を知っていた人物を絞り込んで……みたいな展開にしていたことでしょう。
この作品の白眉は最終盤にミス・マープルが犯人を追い詰めるためにある提案をするところです。こういう場面での遠慮しがちな切り出し方、それとは裏腹の容赦のないやり口が彼女の持ち味であり、私が大好きなクリスティー流のユーモアと言えますね。
【その他、メモ書き】
- 最近この村にやってきた謎めいたエステル・レストレンジ夫人の正体は、クリスティーを読み慣れている人ならばすぐにピンときたんじゃないでしょうか。
- ところどころアクロイド殺しを思わせるような記述はおそらく意図的にやっているでしょう。
- 記述者であるクレメント牧師はけっこう好きです。
- サイレンサーが出てくるたびに「じっさいのところどうなん?」って突っ込んでしまいます。
- そのサイレンサーですが、序盤にサイレンサーの使用を示唆しつつ、直後にレディングに明快に否定させるのはなかなか心憎いミスリードです。「サイレンサー付の銃声=くしゃみの音」というのは反則すれすれですが。それとも当時そういう常識があったのかな?
- よくよく考えると短期間に殺人に複数の窃盗と、なかなか物騒な村です。
採点
※採点項目の詳細については以下参照
項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品との兼ね合いで評価を変更する場合もあります)。
関連リンク
【Amazon】 [アガサ・クリスティー/羽田詩津子(訳)] 牧師館の殺人 (クリスティー文庫)
【Amazon】 [アガサ・クリスティ/山田順子(訳)] ミス・マープル最初の事件 牧師館の殺人【新訳版】 (創元推理文庫)
【前作長編】 [アガサ・クリスティー/深町眞理子(訳)] 七つの時計 (クリスティー文庫) ※バトル警視