アガサ・クリスティー長編十三作目/ポアロシリーズ長編七作目。
途方もないミスディレクションの技法。
あらすじ
カーロッタは人気女優ジェーンのものまねで、ポアロを含む多くの観客を魅了した。奇しくもジェーン当人が、ポアロに奇妙な依頼をしてきた。離婚を拒む夫の男爵をなんとか説得してほしいというのだ。純粋な興味からこの依頼を快諾したポアロ。が、数日後その男爵が謎の死を遂げてしまう……。――早川公式サイトより
感想
こんにちは、箱庭皇帝です。
この作品は既読だと思っていたんですが、この印象的な犯人をまったく覚えていなかったことからして、どうやら未読だったようです。こんな作者の黄金期に当たるポアロものを見落としていた自分自身に驚きです。
前作に引き続きヘイスティングズが登場しますが、このあたりからポアロシリーズの時系列がますます曖昧になっていきますね。引退前の話なのか、引退後の気まぐれ稼業なのか、引退撤回して再活動しているのか、どうなんでしょう。
それはともかく、前作に引き続き、今作でもクリスティーのミスディレクションの技が冴えに冴えまくっています。とくに本作ではヘイスティングズの素朴な目を通して語られる記述が自然なかたちで読者をミスリードする場面が少なからずあります。通常無味乾燥な存在になりやすい記述者の存在ですが、この作品ではそれがヘイスティングズであることにそこそこ意義が感じられます。それ以外にも登場人物の発言の解釈がいい意味で二転三転することが多く、結果を知ってからちょっと振り返っただけでも、なるほどこんなところまで作者は工夫していたのかと感心させられることしきりです。
いっぽうで前作同様、奇抜なアイデアを作品にするために、やや強引なプロットになっている感も否めません。もう少し細部を詰めてから執筆にあたれば、本作も他の有名作品に比する名作と呼ばれていたのではないかと思います。
物語もヒロインの一人であるジェーン・ウィルキンスンはじめ個性的な面子がそろっているためか、いろいろなところを動きまわるような話ではないわりに退屈せずに読み通すことができました。
本作ではポアロによるヘイスティングズ評と、ヘイスティングズによるジャップ評が面白かったですね。ポアロはようするに自分には凡人の視点が必要だと言っているだけだし、ヘイスティングズさん、ジャップ警部に対してけっこう辛辣です。っていうか、こういう手記スタイルの小説を読んだときいつも思うんですが、記述者はひどいことを書かれた当人が読む心配はしないんですかね。
ついでにちょっと気になったんですが、本作のジャップ警部はやたら嫌なやつになっていませんか? 前作との変貌ぶりに驚きました。
ネタバレ感想
※以下、直接的ではないにせよ、前作『邪悪の家』のネタバレに繋がるような記述が含まれます。前作を読んでいない方はその点ご承知おきください。
『エッジウェア卿の死』は犯人による探偵のあやつりと、それに翻弄される探偵という大枠において、前作と共通点があります(これにかぎらずクリスティーは似たようなテーマを続ける傾向がありますね)。ただし前作とは違い、今作では冒頭でポアロが苦戦することを作者が宣言しているので、その点についてのアンフェア感は解消されています。
もっとも、本作でのあやつりはメインディッシュではなく、主題は「登場人物の入れ替わり」と「もっとも怪しい人物がやはり真犯人だった」という二つの要素でしょう。
登場人物の入れ替わりについてですが、この作品ではものまねが得意な女優が登場することから、入れ替わりが行われることは示唆されています。問題は晩餐会と殺人現場、どっちがどっちに行っているかですが、作者としてはもちろん真相とは逆に思わせたいわけです。そのため、秘書や執事の証言やジェーンの服の好み、ジェーンのほうが罠にはめられているように見せる、第三者の男がカーロッタを利用しているように見せる、その他さまざまな手法を用いて、読者の推理を間違った方向に進ませようとします。もっと言えば、これほど入れ替わりが明白なプロットにおいて、入れ替わりそれ自体にも焦点を絞らせない書きっぷりはじつにお見事です。こうした作者の企みにうまく騙された人はこの作品を高く評価するのではないでしょうか。
この手の入れ替わりトリックでつねに議論となるのが、変装したことがそんなにバレないということがあるのだろうかという問題です。ましてや今回は晩餐会の複数の出席者を相手にです。これは作者のさじ加減次第なので、結局のところ作者の理由づけに読者が納得できるのかどうかという話になります。
本作ではそれを、出席者にあまりジェーンをよく知る人がいなかったこと、場所が薄暗かったことなどをさりげなく提示することでエクスキューズとしています。そのうえ会の途中で確認の電話を入れることで失敗した場合のことも考慮しているところからも、個人的には合格点をあげられるのではないかと思います。というより、じっさいバレていますしね(笑)
ただし本作ではカーロッタが晩餐会に出席したことから読者の目を逸らさないといけないので、ポアロがあまりにその可能性について言及しないことにやや作者のご都合主義を感じてしまいます。事実私は晩餐会の話題が最初に出たときに、「ああ、カーロッタがジェーンのふりして晩餐会に行ったとか、そういう話になるのかなあ」みたいな素直すぎる読み方をしてしまったせいで、皮肉なことにその後、カーロッタが晩餐会に出席した可能性がまったく考慮されないのに違和感を覚えて、なんとなく作者の狙いがわかってしまいました。これは前作同様の欠点でしょう。
さて、今回一番物議を醸すのはなんと言っても真犯人の動機でしょう。むろん当時のネイティブの常識と日本人である我々の常識とを軽々に同一視することはできませんが、ポアロに指摘されるまでジャップやヘイスティングズ、その他登場人物がその動機に思い至らなかったことなども考慮に入れると、やはりかなりアンフェアというか知識偏重と言えるのではないでしょうか。なにより回りくどいです。
では、なぜそのような回りくどい動機にしたのかというと、これもやはり前作同様妥協の産物ではないかと思うのです。この作品のもう一つの主題である「もっとも怪しい人物がやはり真犯人だった」を実現するためには単に「旦那が離婚してくれない」とするのがもっとも素直で美しいに決まっていますが、やはりそれで押し切るのには無理があると判断したのかもしれません。しかしながら動機をこねくり回さず、入れ替わりトリックのみで押し切った場合、ほんとにフーダニットとして成立しなかったのか? クリスティーの天才的なミスディレクション能力を駆使すればやってやれないことはなかったような気もしますが。
いずれにせよ、この作品の評価はジェーン・ウィルキンスンという犯人の存在を抜きにしては語れません。このところクリスティーの作品は印象に残る犯人が続いていますが、なかでも彼女は印象に残るだけではなく、強烈な個性を伴った魅力ある人物ですね。現実では絶対に関わりたくないような女性ですが、だからこそ犯人としてふさわしい。
【その他、メモ書き】
- クリスティーは登場人物が語った突拍子もないように見える意見がじつは真実だったという手法をよく用いますが、本作ではその特徴が際立っていますね。
- 手紙のトリックは、その巧拙とは無関係に、いくらなんでも非現実的すぎるような気がします。さすがにあんな破り方をしていれば、ポアロでなくとも即座に違和感を覚えるのでは?
- ポアロに決定的なヒントを与えたのがそこらの通行人というのも……。そこは素直にヘイスティングズでいいでしょう。
- コーンナイフの一撃でターゲットを仕留める女暗殺者――マンガやアニメ映えしそうなキャラクターです。
採点
※採点項目の詳細については以下参照
項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品との兼ね合いで評価を変更する場合もあります)。
関連リンク
【Amazon】 [アガサ・クリスティー/福島正実(訳)] エッジウェア卿の死 (クリスティー文庫)
【Amazon】 [アガサ・クリスチィ/厚木淳(訳)] 晩餐会の13人 (創元推理文庫)