※表題は怒りと限定していますが、実際には他人の心を読むのが苦手な人に向けてのお話です。
他人の気持ちがわからない
人一倍、他人に気を使うタチなんです。でも相手を怒らせてしまったり、そこまでは行かなくとも、明らかに相手が不機嫌になっていくのがわかるんです。ただしその理由がわからない。ずっとわからないこともあれば、だいぶあとになってからハッと気づいて、なぜこんな簡単なことに思い至らなかったのかと自己嫌悪に身もだえする……。そういう人、意外と多いんじゃないでしょうか。
かくいう私もその一人でした。いわゆる発達障害的な気質もあるような気もしますが、それ以上に重度のアトピー持ちだったことから人との関わりを避けてきたのが一番の原因のような気がします。
理由はともあれ、その気がないのにしばしば相手を怒らせてしまう人は、他人と関わるのが怖くなり、そのせいでますます人の心がわからなくなり、そしてまた相手を怒らせてしまう――という悪循環に陥ってしまいがちです。
しかしながらあるときふと思いついた簡単なことを実践するようになってから、私自身はこの悩みをだいぶ克服できたような気がします。
これは多くの人におすすめできるやり方だと思うので、いまからそれをご紹介したいと思います。
見積もりを補正する
説明に入る前に、一つだけ、心得ておく大原則があります。
それは人間というのは基本的に自分に甘く他人に厳しいということです。
この大原則さえ抑えておけば、あとはやるべきことは一つです。
それはなにかと言うと、
自身や他人の言動や感情に対して、あなたの頭に最初に浮かんだ評価の見積もりを、その都度上記の大原則を緩和する方向、すなわち自分に厳しく他人に甘い方向に機械的にx倍補正する
のです。
これだけだとよくわからないと思うので、具体例で示していきたいと思います。
上記のxという数字は概念的なものなのでアバウトにとらえてください。ここではかりにx=3としておきます。
たとえばあなたが誰かに頼みごとをするとき、相手はあなたが思う3倍それを負担に感じています。そして相手が実際にそれを解決してくれたとき、相手はあなたが思う3倍苦労しています。だからあなたがお礼をするときは、あなたが抱く感謝の気持ちを3倍強く表現して(あるいは形にして)、はじめて相手は報われた気持ちになるのです。
たとえばあなたが軽い気持ちである人をからかったとき、相手はあなたの考える3倍傷ついています。もしそのことについて相手が根に持っているように見えたなら、それはあなたの考える3倍長く尾を引くことになるかもしれません。
相手があなたにプレゼントをしてくれたとき、相手はあなたが感じる3倍凄いプレゼントをしたと思っています。
あなたが周囲からうざがられていると感じたなら、実際はその3倍うざがられていますし、あなたがした渾身の面白い話はその3倍面白いと思われている……わけではなく、その1/3しか面白いと思われていません(笑)
――こうした事例において、自分の甘い見積もりを適切な方向に機械的にx倍補正してから(xは適宜修正してください)、実際の行動に移るのです。ポイントは機械的にというところです。どうせ自分の見積もりは信用ならないのだから、なにも考えずに補正したほうがうまく行くことが多いのです。
これを続けていくとどうなるか。
あなたが考える相手の反応と、実際の反応との乖離が小さくなっていきます。そうして予測が当たるという成功体験を積み重ねていくことで、他人の心が理屈でなく感覚的に理解できるようになり、やがては自分の見積もりに補正をかける必要すらなくなっていくのです。
私自身は、この効果は絶大でした。
とりわけ以前の自分がいかに周りの人たちに助けられていたか、それに対して自分の感謝がどれほど足りていなかったのかに思い至って愕然とするばかりでした。また、自分なりに穏当だと思っていた批判が、それでも想像以上に相手の自尊心を傷つけていたことに気がついて、その加減が以前よりはわかるようになった気がします。
いまの私は滅多に他人と軋轢が生じることもなくなりましたし、副産物として元来短気だった性格がだいぶ丸くなったように思います。
というわけで、これはいまこの瞬間からでも簡単に実践できますので、あなたが人付き合いに苦手意識をお持ちでしたらぜひともチャレンジしてみてください。
余談
昨今、いわゆる寿司テロをはじめとする各種迷惑行為がネットを騒がせています。
ああいうのは古今東西一定数いたのがネット時代に可視化されただけだとは思いますが、こうした迷惑行為をおこなう人たちというのは、当記事にからめて言うならば、上記xの値が1000とか10000とか桁違いに大きい人だと思います。つまり自分のやっている迷惑行為がどれだけ他人(世間)を不快にさせるのかということの見積もりがとんでもなく甘いわけです(夜中に爆音を轟かせている暴走族なんかもそのたぐいですね)。
自分の子供時代を振り返ってみるに、そうした桁違いのxをともなう子供というのはけっこうな割合で存在していました。ただし彼らの大半は自身の成長や周囲の環境からの影響などで、十代も後半になるころには常識レベルのxを身につけるようになっていきます。ところがごく一部、桁違いのxが修正されないまま体だけが大きくなってしまった人たちが、こういう信じられないような幼稚な行為をやりつづけ、ときに大騒動に発展してしまうのです。
それは社会にとっても本人にとっても、とても不幸なことです。だからそういう人にこそ、当記事の内容を実践してほしいと強く願いますが、そんな人たちがこんな泡沫記事を目にする機会など万が一にも訪れてくれませんですね、はい。