アガサ・クリスティー長編二十一作目/ポアロシリーズ長編十四作目。
新味は薄いが、隙の少ない一作。
あらすじ
ポアロは巨額の財産をもつ老婦人から命の危険を訴える手紙を受け取った。が、それは一介の付き添い婦に財産を残すという問題のある遺言状を残して彼女が死んだ二カ月後のことだった。ポアロとヘイスティングズは、死者からの依頼に答えるとともに事件に絡むテリアの「ボブ」の濡れ衣を晴らす。――早川公式サイトより
感想
こんにちは、箱庭皇帝です。
『もの言えぬ証人』は既読ですが、覚えているのは、せいぜい犬が登場することと、ヘイスティングズが本作以降、ポアロ最終作の『カーテン』まで出番がないことくらい。それから、読み終えたあとに、なんだか地味で特徴のない話だったなあと思ったような記憶がかすかにあります。
というわけで、今回、まったく気乗りしないで読みはじめたんですが、再読を終えた直後の感想は、「いや、これそんなに悪くないのでは?」というものでした。たしかに際立った特徴はあまりないのですが、すべてをそつなくこなしているというか、意外性を生みだすために無茶をしているように見える箇所があまりないんですよね。本作にも大小さまざまなミスディレクションがありますが、そのどれもが自然なかたちで物語に溶け込んでいて、それほど作為を感じないのです。裏を返せば作者が弄する仕掛けがどれも抑制的なので、若いころの私はそこに物足りなさを感じたのでしょう。
ワンちゃんの心の声をヘイスティングズが代弁するのも、昔は「そんなこと言ってるとはかぎらんだろ」と野暮なことを考えてしまったものですが、いまではそうした描写もクリスティー流のユーモアとして楽しめる程度には、こちらも丸くなりました。
個人的には本作のフーダニットはなかなか鮮やかで、私は素直に驚かされました。しかも、『邪悪の家』や『雲をつかむ死』のような、衝撃は大きいがどこか力技にも感じられるものではなく、真っ向勝負でしてやられたという印象です。
さて、本作では、冒頭四章がまるで普通の三人称小説のように進みます。そして自分の身に起きた出来事に疑念を抱いた女性がしたためた手紙をエルキュール・ポアロが受けとったところから、ヘイスティングズによるいつもの手記形式がはじまりますが、ぶっちゃけヘイスティングズが登場せずに、そのまま三人称が続いてもまるで違和感がなさそうです。また、なまじ冒頭の四章でキャラクターがしっかりと描かれているため、ポアロの捜査に入ってからは、ワクワク感よりも冒頭部分を追認しているような印象を受けるところがあります。
となると冒頭の三人称部分を削るか、ヘイスティングズを登場させないか、どちらかにしたほうがよりスマートだったような気もしますが、作者があえてこの構成をとったのは、「ほら、ヘイスティングズって邪魔でしょう? いらないからもう退場させてもいいよね?」という、すでにヘイスティングズという語り手を持て余していた作者による読者へのアピールだったというのは穿った見方でしょうか。
ともあれ、『もの言えぬ証人』は小粒ではありますが、いい意味でツッコミどころの少ない、万人におすすめできる作品といえるでしょう。
ネタバレ感想
『もの言えぬ証人』は、作者が過去作で生み出してきたさまざまな騙しの技法がじつにさりげなく散りばめられていて、地味ながらも匠の技を思わせる出来映えの作品です。
本作では、エミリイが遺言で家政婦のロウスンに遺産を残したという不可解な行為が、プロット全体に大きく効いています。なぜエミリイはロウスンに遺産を残したのか。ロウスンはそれを知っていたのか。あるいは何か策を弄して、エミリイを誘導したのか。さらに、チャールズやテリーザがその事実を知ったのはいつだったのか、等々です。
個人的には、エミリイのこの不可解な行為は『七つの時計』の冒頭の謎に匹敵する面白さがあります。ただ、『七つの時計』の真相がやや肩透かしに感じられたのに対し、『もの言えぬ証人』のほうは納得できるうえに、十分に推理も可能です。その意味では、本作のほうがやや優れているかなと思います。しかも、エミリイのこの行為のおかげで、読者の疑いが自然とロウスンやチャールズ、テリーザに向けられるのがじつにうまいミスディレクションです。
そして中盤以降のベラ・タニオスをめぐる数々のミスディレクションの出来映えは、過去作と比較してもトップクラスではないかと思います。とりわけ、身内を差し置いて遺産を相続するかたちになったロウスンの良心の呵責につけ込んで、そこから金を引き出そうとするくだりはお見事です。
本作では、真犯人であるベラ・タニオスという人物の印象そのものが、フーダニットに直結しています。このタイプの犯人はクリスティーの作品のなかでもやや珍しいように感じられ、私はとても驚かされました。ただし、ポアロの彼女に対するプロファイリングは、正直、かなりこじつけが強いなとは思いました。とくに最後の解説のところで、ポアロは、
と言っていますが、これをすんなり受け入れる読者はあまり多くないのではないでしょうか。また、チャールズやテリーザには殺人性向はないと言っていますが、これもほんまかいなと思ってしまいますね。別の作品で、この手の人物が犯人になっていてもまるで違和感がありません。
ベラ・タニオスを最後の行動へ誘導するポアロのやり方には賛否両論ありそうですが、私はやや否の立場ですかね。彼は過去にも似たようなことをやっていますが、私には探偵の領分を少なからず逸脱しているように思います。ただ、彼のアイデンティティーとしては一貫した行動とも言えるので、キャラクター造形の面で不満はありません。
ともあれ、解決編でベラ・タニオスに対する印象ががらりと変わるところでは、じつに気持ちよく騙されました。ただし、事件の結末そのものはあまり後味のよいものとは言えませんが。
【その他、メモ書き】
- 燐にまつわるあれこれは、まったくのデタラメというわけではないのでしょうが、実際にあの状況でそんなふうに見えるものなのかと言われると、かなり怪しい気がします。まあ、こういう「科学っぽいけれど、ちょっと都合がよすぎる現象」も、クリスティーの持ち味の一つということで。
- 作中には、複数の過去作について真犯人名を明かす大胆なネタバレがありますが、それらを未読の人間は、名前を出されたところでどうせすぐに忘れるだろうという計算があってのことでしょう。
- ワンちゃんの見せ場があまりないのはちょっと残念。
採点
※採点項目の詳細については以下参照
項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品とのバランスを取るためにあとから評価を変更する場合もあります)。
関連リンク
【Amazon】 [アガサ・クリスティー/加島祥造(訳)] もの言えぬ証人 (クリスティー文庫)
