アガサ・クリスティー長編二十作目/ポアロシリーズ長編十三作目。
四人の探偵と四人の容疑者。騙りの技法でフーダニットを構築する実験作。
あらすじ
名探偵ポアロは、夜ごとゲームに興じ悪い噂の絶えぬシャイタナ氏のパーティによばれた。が、ポアロを含め八人の客が二部屋に分れてブリッジに熱中している間に、客間でシャイタナ氏が刺殺された。しかも、客たちは殺人の前科をもつ者ばかり……ブリッジの点数表を通してポアロが真相を読む。――早川公式サイトより
感想
こんにちは、箱庭皇帝です。
『ひらいたトランプ』は私がはじめて読んだエルキュール・ポアロの原作小説ということで、感慨深い作品です。私と同年代のクリスティーファンには同じような人が案外多いのではないでしょうか。これには理由がありまして、一般に文庫本には作家別に作品番号が振られていますが、当時のハヤカワ文庫のクリスティーの番号は、1番がノンシリーズの『そして誰もいなくなった』で、2番がこの『ひらいたトランプ』だったんですね。なので若い順から読んでいくと、必然的にこれが最初のポアロ長編になるわけです。
しかしながら、最初のポアロものにこれを持ってくるのはいまから思うとかなり無理がありますよね(1番が『そして誰もいなくなった』というのもちょっとやばい。これについては後述します)。というのも、この作品は四人の探偵役と四人の容疑者側が明確に分かれて対峙するという構図が面白いのに、クリスティー作品を読みはじめたばかりの人はポアロ以外の探偵役をよく知らないので、彼らも容疑者に含めてしまいがちなんです。まあ、容疑者が増えるほうがフーダニットとしては望ましいとも言えるかもしれませんが、この作品の魅力はやはり探偵側と容疑者側がそれぞれ四人と限定されているところにあると思います。そして性格の異なる四人の探偵が、それぞれ独自の推理方法で、性格の異なる四人の容疑者のうち誰が真犯人なのかに迫っていく――クリスティーはそういう構図を狙っていたのでしょう。
なので今回、バトル警視や、レイス大佐、オリヴァ夫人の人となりをある程度知ったうえで本作を読みなおしてみるのはとても有意義でした。個人的には、作者がそれぞれ魅力的な探偵役の面子を保ちつつ、どのように事件を解決させるのかに注目して読み進めていたのですが、本作については、そのあたりの配分はうまくさばけていたのではないでしょうか。
せっかくなので、どのような手法で推理する探偵だったのか、自分なりに分類してみると、
- ポアロは心理分析型。
- バトル警視は実直な刑事らしい実務型。
- レイス大佐は経験に裏打ちされた洞察力。
- オリヴァ夫人は作家らしく想像力豊かな直感型。
といったところでしょうか。それにしても心理分析重視の推理って一時期やたらもてはやされていましたが、現在の視点からすると、どこか嘘くさく感じるのは私だけでしょうか。読んでいて、バトル警視が一番有能に見えたのは内緒です。
本作は容疑者が四人しかいないということで、フーダニットとして物足りないのではないかと心配される方もおられるかもしれませんが、そこについては終盤にしっかり見せ場が用意されていて、過去作に遜色のない面白さなのでご安心を。
さて、本作ではコントラクトブリッジのゲーム中に事件が起こり、そのスコアが表として作中に提示されます。必ずしもブリッジのルールを知らなくても楽しめますが、
- ブリッジは四人でおこない、向かい合った二人同士がペアを組む。
- 各ゲームでは一方のペアが宣言側となり、そのうち実際にプレイを主導する一人が宣言者(ディクレアラー)、もう一人がダミーとなる。
- 対するペアは防御側(ディフェンダー側)である。
- ダミーは手札を公開し、そのゲーム中は実質的にプレイへ関与しない。
これくらいは知っておいたほうがいいかもしれません。私も初読時にはまったく何の知識もなしに読みましたが、今回はネットで基本的なルールを調べたうえで、作品にのぞみました。でも結局、こっちの方面から真相に迫ることはまったくできませんでしたが……。
ネタバレ感想
ところで、本作より刊行順で二つ前にあたる『ABC殺人事件』の序盤で、「犯罪を注文できるならどんなものにする?」という趣旨のことを問われたポアロは「四人の人間がブリッジをしていて、それに加わらない一人が暖炉のそばの椅子に座っている。夜更けになって、暖炉のそばの男が死んでいることが発見される。四人のひとりが、ダミーになって休んでいるときに、そこにいって彼を殺したが、ほかの三人はゲームに夢中になっていて気づかなかった。ああ、それがあなたにふさわしい犯罪ですよ! 四人のうちの誰がやったのか?」と答えています。
この意味するところは、派手な事件や展開もいいけれども、シンプルな状況設定のなかで限られた容疑者の心理と行動を読み解くことこそ、知的ゲームとしての探偵小説の醍醐味ではないかということでしょう。作者がこれを書いたときにはすでに本作の構想があったのか、それともこれを書いてから細部を詰めていったのかはわかりませんが、『ひらいたトランプ』ではまさにこのときポアロが言ったとおりの事件が起こります。
本作は作者の長編小説のなかでもそれほど話題にあがることはないですが、じつはフーダニットにおいてとても思い切った新機軸を打ち出しています。それは「四人の容疑者を、犯人候補としてほぼ同じ重さで並べる」というものです。
『ABC殺人事件』の記事でも述べたように、通常のフーダニットは、「いかにも怪しい人物」「ほんのり怪しい人物」「まったく怪しくない人物」「疑いの外にいる人物」など、登場人物の疑わしさの度合いに濃淡をつけることで読者を煙に巻きます。ところが『ひらいたトランプ』における四人の容疑者は、性格や印象こそ大きく異なるものの、犯人候補としての重みはほぼ同格です。それをクリスティーは、自身お得意の騙りのテクニックと人物心理の描き分けによって、立派なフーダニットに仕立て上げているのです。
『オリエント急行の殺人』でフーダニットの極北とも言える趣向に到達したあと、少なくとも作品の流れだけを見ると、クリスティーは「驚愕の犯人!」だけで勝負するのではなく、騙りのテクニックに風変わりなプロットや重厚な人間ドラマを絡める、総合力としてのフーダニットへと作風を広げていったように見えます。その過程で、彼女はふと気づいたのではないでしょうか。「あれ、ひょっとして登場人物にわざわざ極端な作為を凝らさなくても、私の騙りのテクニックがあれば、十分に魅力的なフーダニットになるのでは?」と。
事実、この作品は、多くの読者を満足させるだけのフーダニットに仕上がっています。ポアロの推理があまりに心理分析へ寄りすぎていて、物的証拠に乏しいのが玉に瑕ではありますが、作者自身が冒頭で、これは限られた容疑者の心理を読み解く趣向の作品なのだと示しているのですから、そこをあまりあげつらうのは野暮ってものでしょう。
本作で手応えを得たのだとすれば、クリスティーはさらに一歩進めて、今度は探偵役も、探偵による推理も取っ払い、登場人物すべてをほぼ等価に扱う作品に挑戦した、と見ることもできます。その作品こそ、言うまでもなく『そして誰もいなくなった』です。
実際、両者のあいだには共通点が少なくありません。過去に何らかの罪を抱えた人物たちが集められ、限られた状況のなかで、誰もが疑わしい存在として扱われる。その意味で、本作は『そして誰もいなくなった』のプロトタイプと見ることもできないではありません。
だからこそ冒頭で少し話題にしたように、昔のハヤカワ文庫における『作品番号1:そして誰もいなくなった』→『作品番号2:ひらいたトランプ』という並びは、意図されたものではないでしょうが、いまから見るとなかなか癖のある配置だったなあと思うわけです。
【その他、メモ書き】
- 『茶色の服の男』の新訳版では「レース大佐」表記に改められたのに、『ひらいたトランプ』では「レイス大佐」のままです。個人的には「レイス大佐」のほうが好みかな。
- オリヴァ夫人は長編では本作が初登場です。短編ではすでに『パーカー・パイン登場』収録作に登場しています。
- 本作の登場人物のうちオリヴァ夫人を含めた三人が『蒼ざめた馬』にも登場します。またオリヴァ夫人以外の探偵役もみな他作品に出ていることから、本書の登場人物表では過半数が他作品に出ていることになります。
採点
※採点項目の詳細については以下参照
項目は多すぎず少なすぎずをモットーに7つに厳選したので(ほんとは5つまで絞りたかった)、ミステリ小説の通常の評価軸とは若干異なるところがあるかもしれませんがご了承ください。あまり厳密にやりすぎるのも息苦しいので、アバウトに捉えてください。★1点、☆0.5点の5点満点(他作品とのバランスを取るためにあとから評価を変更する場合もあります)。
関連リンク
【Amazon】 [アガサ・クリスティー/加島祥造(訳)] ひらいたトランプ (クリスティー文庫)
